「青雲の志」とは、徳を磨いて立派な人になろうとする、功名を立て立身出世すること・・・自身にはあまり関係のないことなのだけど、人生を良く生きたいという気持ちは維持していると思っている。これからのためにも一度、振り返ってみた。
■少年時代 |
3月生まれの私は皆より体も小さくて、勉強もついていけなくて苦労した記憶しかない。ただ大好きな魚釣りだけはまじめに取り組んでいた、また少し放浪癖があったのか初めて行く場所にはときめいた。今では考えられないかもしれないが小学生時代から自身でキャンプも楽しんでいたし、サバイバルキャンプに憧れていた。実家が商売をしていたので私は放任されていた・・・そして成長するにしたがって体も頭も追いついてきた、しかし「青雲の志」を持つまでにはなることは無かった。
中学から高校時代は本(SFや小説)を読み漁っていたので勉強はしていなかった、また実家の父も病気と借金で大学に行ける余裕はなかった。自身で夜間大学(静岡大学2部)に合格して通っていたが、音楽(バンド)にのめりこみ結局、退学して実家に戻りサラリーマンとなった。
またこの頃の夢は今で言う「フリーター」で生活できるようになることを考えていた。まったく「青雲の志」の無い状態になっていた、ただアウトドアの秘密基地?に住んで楽しみたいという夢だけは持っていた。
■サラリーマン時代 |
サラリーマンとなりあきらめて真面目に働くことになった、公務員に近い仕事だったのでのんびりしたものだった。スキーに行ったりヨット(ディンギー・クルーザー)にのったり車中泊で北海道旅行したり、毎晩のように飲みに行ったり、それでも真面目に勤務するだけでちゃんと給与が貰えて楽しかった、しかし物足りなさもあった。
そんな中、幸運にも家内と結婚し子宝にも恵まれた。子供たちや妻との生活も楽しく仕事も充実していた、高度成長期で仕事も忙しくなり徹夜になることも多かった、また単身赴任での生活も多くなった。少しずつ職責も上がり仕事に対してのモチベーションも上がってきた。
そのころに始めた子供たちのためのボランティアはいまでも続けている。仕事とボランティアの両立でなかなか釣り旅も行けなくなったが秘密基地を持つ夢は形を変えながらも持ち続けていた。
そのころは「北海道に夢の別荘を購入」し春から秋まで定住する夢を持っていた、しかし定年に近づくにつれ実家を放置することも出来ず、子供たちの生活こともあり難しいことが分かった。そしてキャンピングカーという秘密基地を持つことで一つの夢を叶えた。
■定年退職後 |
定年退職時には継続雇用という選択肢もあったが、給与が激減しボランティアとの両立もあり仕事を止めることにした。また定年前からキャンピングカーを購入していたので仕事を辞めても、やりたいことはいっぱいあった。
ただボランティアの職責だけが「志」が無いにも関わらず上がっていく・・・今年からは公益財団の理事、中部エリアの長として纏めていかなければならないことになった。せっかく定年退職したのにボランティアの定年70歳まで務めることになるのだろうか💦
今までも自然体で生きてきた、確かに「青雲の志」は無いかもしれない。しかしこれからも自然体で充実した人生を過ごしていきたい。